※写真は更新予定(T氏HDD遭難中のため)
スキーのリフトは意外と冬だけではなく、植物を見たりグラススキーなどで夏も動いていることがあるのはご存じでしょうか。リフトで一度だけ何かの理由で山頂から麓に降りてくる方に乗ったことがあるのですが、その理由を全く思い出せない筆者です。
今日も皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
筆者は日本に帰国する前の旅行の準備として、敦煌から西安、そして四川省から留学先へ戻るという旅をしたことがあります。
その際に蜀関係のマイナー観光地を訪れたのですが、今回取り上げる剣閣もそのうちの一つです。
漢中を除く旧蜀の最北端は現市では中心が広元市となります。広元市のバスターミナルから剣閣県行のバスに乗り、剣閣県のバスターミナルから更に剣門関行のバスに乗ると、蜀滅亡時に姜維と鐘会が激闘を繰り広げた地へとたどり着くことができるのです。
で、写真がいわゆる関に当たるのですが、ここにたどり着くまでに、実は平地からリフトがあります。但し、当時はまだ二十代で、何より節約志向がたいそう強かった筆者は、迷うことなく徒歩で平地から崖を登っていきました。
かなりのアップダウンを経て(当時の中国の崖沿いの道はガードレールがないところも多いので、結構恐怖感がありました)、写真に遠く見える関まで一時間でしょうか、後にたどり着きました。
実際行ってわかったのは、実はこの崖の上に平地があり、軍が駐屯して屯田できるということ。だから姜維は長期間戦えたんですよね。(五丈原と同じ感覚です)
(鐘会)
とはいえ、この崖を更に上に登るのは気力が萎えるので、諦めました。
どうやら今はかなり整備が進んでいるようで。
皆さんも姜維の気持ちになって、いや鐘会のいらつきを共有してみてください。この地形は連弩がなくても、通過が困難という事は見たらすぐにわかると思います。
(T)