
翌日、宴の始まる一刻前に三人娘は衣装を持ってきました。舞踊に使われる衣装なのできつく締めあげると体の線も見え、男の目を引くにはうってつけのものとなります。
三人娘はそれをわかっていて、協力して着付けをしていました。しかし、私の中にあった昨日の違和感の正体が突然分かったのです。
「皆さん待ってください。もう少しゆるく着付けをしてください。」
三人娘は最初きょとんとしていました。
「他の公女様も着飾って女であることを全面的に出してくるでしょう。本当はもっといろいろな飾りとかできることはなんでもしたいくらいなのに、どうして地味にしなくてはならないの。」
「そうよ。わざわざ私たち侍女のように抑えめに振舞う必要はないわ。晴れなのだから。」
口をとがらせる三人に、まあまあと手振りをしながら、私は意図を伝えることにしました。
「衛の太子様は生真面目な方で、狩猟なども含めて遊びを好まれないそうです。その代わりに書などがお好きで、教養が高いと聞いております。」
そこまで聞いて言葉を発していなかった宙がにやりとしました。
「最初は静艶を知的な人に見せて他と違いをつくるということかしら。」
「そう、後は静艶にこれを言ってもらわないと。途中で皆さんには来てもらわないとね。」
などと話しているうちに時間は迫ってくるのでした。
衛の太子様は半分公的な場ということもあって、素服に黒色の縦縞を基調にしつつ、その縁に金糸を施したり、その下に鮮やかな萌黄色の物を着こまれたりとおしゃれにされていました。ただ似合っているにも関わらず、時々所在なげに帯に手を触れながら萌黄色を隠そうとしたりと、女の私から見て可愛さを感じさせる仕草も、知的な方に似合わぬ不思議な方でした。
その隣にいる太子より十数歳ほど年上に見える方は右公子と呼ばれているようでしたが、人の好さと面倒見の良さと二つの良さがにじみ出ているような方で、料理や酒を持ってくる僕にも丁寧に接されていました。
私は太子を見た後に、ふと自分の衣装が普段と大して変わらないことに恥ずかしさを覚えました。そうした目で使者を歓待するために集まった公女と侍女たちを見ると、自分の見すぼらしさが引き立つようで、顔が真っ赤になりました。
普通の顔、普通の背、中華一の美女の邦である斉の選りすぐられた美女たちの集いで明らかに場違いな私。自分の姿も主人である静艶の見た目につながるということをすっかり忘れていました。その時、静艶が堂々として一人だけ他の公女と違った清楚な雰囲気を醸し出していなければ、すぐにも逃げ出したかったほどです。
そんな私の想いとは別に宴はどんどん進んでいきました。そして、ここが勝負と太子の様子を伺ったのです。宰人が場にいた人々に、衛の太子がお話になる、と声を張り上げると歓声が上がりました。
そして太子は立ち上がると、公女たちに向けて「窈窕」という詩を謡ったのです。
貴族間においては、『詩経』にある数百首の詩を暗記し、自分の想いを政治や外交の場で婉曲に伝えるのが礼儀でした。ですので、ここにいる公女たちも太子との詩のやりとりを求められたということになります。もし男の貴族ならば、この「窈窕」の意味が解らなければ、しばらく謹慎しなければならないほどの大恥をかくことになるのです。
「『詩』ならあなたに敵う者は後宮にいるはずもないわ。」
「窈窕」は淑女を求める詩、静艶に耳打ちして私が選んだのは嫁入を受け入れる詩「鵲巣」でした。私が先回りして言う言葉を、小鳥がさえずるように綺麗な声で静艶が吟じる間、太子の耳は静艶の声に聞き入り、それは私もその場にいた人々も一緒でした。詩吟が終わり、静艶と手を取って喜んでいると、私への強い視線を感じました。そちらを見ると太子でした。
「ちょっと私、外に出るわ。」
そう言って静艶が出ていった後もじっと視線を感じたままでした。
太子の目は私に注がれていました。それも熱く。
静艶と違って、しがない侍女でしかない私は太子と結ばれることはありえません。それでも思ったのです。せめて、人として衛の太子にふさわしい女にいつかなろうと。
でも本当は結ばれたい。嬉しいことばかりでなく、ふりかかる全ての災厄を乗り越えてでも。
何度も首を振って周りを見渡すと、静艶はこちらに戻っても席につかず、そのまま父の斉公の元に向かって耳打ちしました。斉公が何かを考えている少しの間、静艶は外に出ていき、三人娘と共にこちらの席に来るとほぼ同時に斉公が立ち上がりました。
「本日は衛の太子がお見えになった喜ばしい日であり、娘たちが得意とする舞を太子と衛の御一行にお見せしたいと思う。」
すると寺人が公女を一度外に案内し、そこから再び宴の真ん中に立つと舞が始まりました。
「しっかり静艶様の衣装、直しておいたわよ。」
「これで太子様の心は静艶様のものね。」
「見てみて、太子の隣の右公子様なんて食い入るように静艶様に見惚れているわ。あれこそ惚けると言うのよね。」
大きな声で笑いころげそうになった三人を慌てて止めましたが、やはり舞は静艶が一番輝いていました。きつく締めあげた衣装に、流れるような舞、この舞は本来斉の地神に捧げられるものですが、ここにおける神が衛の太子であったことは言うまでもないでしょう。
舞が終わり、やった、と四人で笑ってから目を前に戻すと、太子の視線がこちらに移っているのを感じて、私は体のどこかが火照るような初めての経験をしたのです。
先に帰った三人娘を追いかけるように私は静艶と後宮へ戻る道を歩んでいました。日の落ちるのは早く、周りの景色はもう暗闇へと変わってきていました。
公宮での宴が終わり、いろいろ緊張しすぎて本当に疲れました。体が重くて、何も考えられません。早く室に戻って休みたい。
「静艶、今日は疲れたわね。」
優しい静艶なら、きっと私を心配してくれるはず。
「大丈夫、姒簡?戻ったらゆっくり休みましょうね。」
「ありがとう、公女様。」
「何を今更言っているのよ、落ち着かないわ。」
そして二人で笑いました。
気持ち急ぎ足になった私たちですが、後宮の門をくぐった後も意外と私たちの室までは距離があります。前を行く静艶も少し息切れしてきたようです。
「少し休みましょうか。」
どちらからともなく立ち止まって呼吸を整えました。
周りを見ると、私たちの室と同じような室が近くにありました。
「ここは白月の室ね。もうすぐ魯に嫁入すると聞いたわ。」
白月様は静艶と並ぶ後宮一の美女と名高い公女ですが、好悪に偏狭があることで有名でした。太子と母が同じと言うこともあり、中華を支配する周王に嫁ぐだろうと言われていた白月様でしたが、自分と並ぶ美しさの静艶を敵視し、すれ違っても露骨に無視をしてきました。ただ、嫌がらせというよりはこちらのことを鼻にもかけないというのが正しいような気がします。
そんな白月様でしたが、突然嫁ぎ先が周王様から魯公へと変わりました。
誰もその理由は知りませんでしたが、私たちは臍を噛む白月様を見て、軽蔑と言うより呆気にとられたものでした。
「忙しそうだけど、元気を取り戻したのかしら。」
そんな無邪気な言葉を全て押し流すような女の声が内から聞こえてきました。
「兄上から離れたくはございませぬ。」
「お前は永遠に余のものだ。類まれなる美しさを無神経に傷つける者は許せぬ。必ず魯公を討って、そなたを取り戻す。」
二人とも聞いたことのある声でした。静艶と目が合いました。
「あれは白月の声ね。」
「男はまさか兄の太子様?体調がすぐれないと宴は途中で抜けられていたけど。」
もう一度言いますが、斉の太子である諸児様と白月様は当然兄妹ですが、その上に同母なのです。その関係を考えると、背筋がぞっとしました。
(早くこの場を去らなくては)
既に歩き出していた静艶を追いかけようとすると、待てという声と共にがっしりした手で肩を強く掴まれました。
無意識に体が動きました。肩を抜き、振り向きざまにその手をねじりました。すると、太子が痛みに顔を歪めており、その後ろでは室から白月様が顔を覗かせていました。
「兄上、大変申し訳ございませぬ。」
静艶が声をかけてくれたので慌てて私も膝をつくと、太子はふうと息を継いで苦笑しました。
「太子に何をするのです。愚か者め。」
と鬼の形相で飛びかかろうとする白月様を押しとどめ、
「我らが妹の侍女ではないか、何を気にする必要があるのだ。さあ、立ってくれ。」
私たちが改めて立ち上がって太子を見ると、その雄大な体躯を見上げることになりました。太子は長子ですが庶兄です。生まれに劣等感があるためか性格は激しく、白月様と同様に好悪に偏狭がありますが、武に関してはかなりのものであるという噂でした。
こういった人には卑屈にならず、相手を立てるということが重要です。
「さすが兄上、武に優れた者を見る目がお有りになる。」
「はは。白月と後宮で一、二を争う美女に褒められるとはありがたい。」
静艶は顔を赤くしました。白いうなじがますます目立ってきます。
「その侍女殿には怖い思いをさせてしまった。詫びも兼ねて明後日そなたの室に参りたいと思うがどうかな。」
「ありがたき幸せ。太子には『書』などについて御教授いただきたく。」
静艶は女ながら男と同様の学があり、『詩』だけではなく、『尚書』などを学んでいました。
「女だてらに『詩』などと。兄上、もういいでしょう。こちらにお越しくださいませ。」
なぜこうなるのか、どうして厄介事がまた私たちの目の前に現れるのでしょう。
太子は何も言わず白月様の室に入り、白月様は憎しみの視線を私たちに投げかけ、室の扉は強い音と共に閉まりました。
私たちは目を合わせ、ため息をつきながら、その場を離れることにしたのでした。
(続く)





































